キャプテンとして初めてのW杯に臨む吉田麻也
サッカーW杯カタール大会(11月20日開幕)で活躍が期待される日本代表選手の素顔、実像を関係者の証言で、全6回で徹底解剖する。第1回は、キャプテンとしてチームを引っ張る吉田麻也(34)=シャルケ=。中学から名古屋の下部組織入りした、リーダーの原点を当時の指導者に聞いた。
試合後のインタビューに応じる時にも、戦いのさなかにあるような険しさは消えない。吉田の表情には、常に並々ならぬ覚悟がのぞく。その原点は、12歳の秋。親元を離れプロを目指すと決意した時だった。
長崎出身で名古屋に地縁のない吉田だが、7歳上の兄が見つけた名古屋U―15のセレクションを受験し、見事に合格。しかし加入直前に事件が起きた。当初、名古屋で住むあてにしていた親戚が、吉田を住まわせられないと申し出たのだ。
クラブの寮は高校生以上が対象で、中学生の1人暮らしは認められない。紆余(うよ)曲折を経て、浪人中だった兄がともに引っ越すことで名古屋入りがかなった。
当時コーチを務めていた井森秀歩さん(現FC岐阜スクールダイレクター)は「ギリギリのところだった。もしお兄さんがまだ未成年だったり、浪人せず大学に通っていたら、彼は長崎に帰ることになっていたと思う」と振り返る。
同居すると決めた兄のサポートは献身的だった。井森さんが、当時はまだ珍しいウオーターサーバーのあるスーパーに行った時のこと。そこでは、吉田の兄によく遭遇した。「弟のために、水道水よりもミネラルウオーターを飲ませたい」。リアルに「水を運ぶ」役割まで買って出た。
プロを目指し、家族の生活も巻き込んだ。名古屋U―15で吉田を指導した今久保隆博さんは「他の子とは覚悟が違う、というのはあった」と振り返る。「本人のプロになりたい、という思いだけは断トツだった。他の子はセレクトされたことがうれしいとか、そういうことだったと思うけど、彼はプロになりたい一心でそこにいた」
覚悟が、優れたリーダーシップを生んだ。今久保さんは吉田を「バカになれる」と評する。「うまくいかない場面でも、がむしゃらにボールを追いかける姿を見てきた。ユースでも、公式戦で士気が上がらない時に一喝するのも見た。そういうのは必要」
チームのために戦う姿勢は、10代のころから変わらない。「バカになれる」男が、キャプテンとして初めてのW杯に臨む。
▼吉田麻也(よしだ・まや) 1988年8月24日生まれ、長崎県出身の34歳。189センチ、87キロ。名古屋ユースから2007年にトップ昇格。10年にVVV(オランダ)に移籍し、サウサンプトン(イングランド)などでプレー。18年W杯ロシア大会後、長谷部誠からキャプテンを引き継いだ。国際Aマッチ121試合、12得点。
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